彼女の福音
伍拾弐 ― 彼女の福音 ―
BGM推奨曲:CLANNAD Original Sound Track「空に光る」
「何だかやっぱ締まらないよな」
俺は窓に映った自分にそう呟いてみる。
蝶ネクタイは苦手だ。なぜかネクタイを結べない子供やら漫才師やら、あまりいいイメージが浮かばない。渋々とディナージャケットを羽織ると、まあそれなりに様になったかな、と思う。
「朋也、ちょっと来てみてくれ」
不意に洗面所から智代が俺を呼んだ。
「どうした?」
「いや、髪をセットしてみたんだが、変じゃないだろうか」
そう言いながら鏡から俺の方を向いた智代を凝視した。
「……だめだ。今日はお前を外に連れ出せない」
確か、エレガントアップスタイル、とか呼ばれているその髪型は、嘘じゃないかというほど智代に似合っていた。
いや、というか何だこれは。黒いプリーツワンピースといい、白いレースのボレロといい、ビロードのロンググローブといい、黒いシルクのチョーカーといい……これは困った。とても困った。
「……練習したんだが、似合わないか?」
「いや、逆だ。似合いすぎだ。お前を外に連れ出した瞬間に群がってくる男共を全員撃退できるだけの自信はない」
想像してみる。グラサンとイアホンを装着した仏頂面のスーツ男のように群がってくる野郎共を、救世主さながら蹴ったり殴ったりちぎったり投げたり。しまいには「柔らかい石はここだぞっ!」と智代が叫ぶ始末。どう考えても結婚式じゃない。
「あるあるあるある」
「ないな、それは」
えー、と不満げな顔をしてみた。
「馬鹿なことばかり言うな。本気で悲しくなったぞ」
「しまいにはトモヤ・ダイナマイトという禁断の捨て身攻撃で……」
「一度円谷プロに謝って来い。それよりも早くしないと遅れてしまうぞ?」
時計を見て智代が注意した。
「ふっ。智代、俺の高校生からのスキルが『無期限遅刻』と『無断欠席』だというのは知っているだほぉああ痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛」
話している最中から頬をつねられて俺は引っ張られた。
「そうか。ちなみに私の『生徒会長』属性、並びに『朝、起こしに来る恋人』フラグが真っ赤に燃えている。『遅刻は許すな』と轟き叫んでいる」
「わあーったわあったはら、ほのてをはなひてふだはい」
痛つつつつ……あのまま神の指なんて繰り出されていたら、東方は赤く燃えていただろう。
「とにかく、早く行くぞ。大体お前は春原のベストマンをしなきゃいけないじゃないか」
「あ、そうだったな」
「全く……仕方のない奴だ」
ため息を吐いている智代。春原に頼まれてベストマンなるものを引き受けたものの、役目の多さに結構辟易した。実は披露宴のスピーチの原稿を書くにあたって、約束した通り「春原の秘密!奇跡の生命体、その謎に迫る!暴露大会DEATHMATCH」というノリで書いていたら、智代にダメ押しされてしまった。結局、春原と杏へのスピーチ原稿は、両方とも智代に書かれてしまった。
しかしここで怯む俺じゃない。密かに書き留めておいた「俺専用春原スピーチ」を本来のスピーチ原稿と取り換えて……
「なあ朋也、原稿を取換えようと思っても無駄だからな?」
ぎくぅ
俺はわなわなと慄きながら振り返った。智代さんは腕組みをして、むぅ、と怖可愛い顔で俺を睨んでいた。
「私に隠れてこそこそ何かやっていたと思ったら……やっぱりそうだったのか」
「え、えーっと?」
「春原のいいところともとれなくもないところをいくらか誇張してまで書き上げた私の力作を無駄にするのは許されないことなんだぞ?私があれを書くのにどれくらい苦労したと思っているんだ」
「そ、それはまぁわかるが」
「朋也」
冷めた口調で智代が言う。声色と笑顔がとっても怖かったので思わず直立不動して俺は答えた。
「はっ!」
「ハウス」
「……はい」
自分の威厳が翼を奪われたイカロスよろしく墜落していくのを感じながら俺は頷いた。
BGM推奨曲:CLANNAD Original Sound Track「Ana」
ノックをすると、部屋の中から返事がしたのでドアを開けた。
「あ、岡崎さん」
「よう、芽衣ちゃん。今日はすごく綺麗だな」
「えへへ、そう思います?ありがとうございます」
「あのね、岡崎」
ブルーのドレスを摘んで見せてくれている芽衣ちゃんの後ろから、黒髪に似合わない白タキシードの春原がげんなりした顔で言った。
「僕の結婚式の時ぐらい、芽衣にちょっかい出さないでくれる?」
「よぉ春原」
俺は春原をまじまじと見た。そして一言
「似合わねぇな」
「失礼な事言いますよねアンタはっ!!智代ちゃんに言いつけちゃってもいいの、芽衣のこと?」
「そいつぁ勘弁」
おどけて肩をすくめると、春原はため息を吐いた。
「で、智代ちゃんも来てくれてるわけ?」
「ああ。今はボケボケ娘。(注:ユニット名)たちと一緒に花嫁のほうに行ってるさ。俺は立ち入り禁止だとよ」
「こればっかしはね、僕も岡崎には譲れないよ。ま、岡崎は僕の次に杏のドレス姿を見させてやるからさ」
「言いやがってこの野郎。だいたいドレス選んだのはお前だろうが」
俺は春原にヘッドロックをかけた。二人とも、気持ちよく笑った。
「こんにちは……って、春原君が朋也君に襲われてるっ?!」
扉を開けた勝平に見事誤解されてしまった。
「実は、俺と春原は愛し合っている仲なんだ」
「へ、ええっ?そうっだっけ?」
「そ、そうだったの?!」
「そうだったんですか、岡崎さんっ?!」
目をひん剥く春原と、驚いて見事ハモる芽衣ちゃんと勝平。
「ああ、今まで隠してきたけど、実はそうなんだ。だから悪いけど勝平、杏にこの結婚式は取り消しだって言ってきてくれ」
「あんた何人の結婚式台無しにしてるんですかねぇッ!?」
「わ、わかったよ、朋也君」
「あ、勝平さん、ついでに智代さんにも岡崎さんがカミングアウトしたって言っておいて下さいね」
「う、うん。そうだったねっ」
「ま、待て冗談だ冗談っ」
駆け出そうとする勝平を俺は急いで止めた。危うく智代に三行半を突きつけられるところだった。
「自業自得だね。あ〜あ、智代ちゃんも大変だよね、こりゃ」
「へっ、言ってろ。お前だってこれから杏に散々迷惑かける身になるんだからな」
「ふんだ、僕は岡崎とは違うからね。絶対に岡崎ほど面倒はかけないよ」
「はっはっは、冗談きついぜ春ピー。そんなことになったら、俺、逆立ちしてスパゲッティを鼻から食ってやるさ」
「そっちこそ、僕よりも岡ピーのほうが手がかからなかったら、木からぶら下がってわんこそばを完食して見せるね」
「岡崎さんもお兄ちゃんも、もうちょっと大人になってください。同じ女性として智代さんと杏さんが不憫です」
芽衣ちゃんに駄目出しを食らってしまった。
「だいたい、春原君も朋也君もわがまま言っちゃいけないよ。毎日まともなご飯が出るだけでもよしとしなきゃ」
「……まぁ、そうだな」
勝平の言葉に、俺は頬をぽりぽりと掻いた。
「僕なんて……僕なんて……昨日のあれ、何だったんだよ椋さん……だから、あれは僕が悪いって言っただろ、そんな根に持つようなこと?僕、真で償わなきゃいけないことしたかな?……柾子、お前は、お前だけは強く生きて、杏さんから料理を学ぶんだぞ……」
「……おい、春原」
「何、岡崎」
暗い影を背負ったまま何かを呟き続ける勝平を見ながら俺たちは囁きあった。
「椋の飯って、そんなにひどいのか」
「岡崎も一遍試してみなよ。すごいよ、あれ」
「春原君、他人事みたいに言うけどさ、これで晴れて親戚になった暁に、これから椋さんの差し入れとか進呈するからね。ふふふ、覚悟しててね。ふふ、ふふふふふ、そうだよね、僕だけが十字架を背負う必要はないよね、春原君もこれから一緒だよね、お義父さんに執拗にいびられるのもお義母さんに本を投げつけられるのも、椋さんの料理とは名ばかりの物体を食べさせられるのも、これで僕だけじゃないんだ」
くくくくく、と勝平が笑った。いや、本当に不気味だ。と、その時
「また僕こんな役かよ……おーい、春原さん、にぃちゃん、芽衣ちゃんに勝平さん、僕ら会場に集合だってさ」
鷹文がドアから顔を覗かせた。正直、こいつが来るとは思っていなかった。
「鷹文、何でお前がここに?」
「ねぇちゃんの命令。『バカ共を呼んでこい』だってさ」
「いや、そうじゃなくて……ははぁ、さてはお前、美人の姉の姿を一目見ようと潜入してきたな」
「何でそうなるのっ!僕は河南子の付き添い兼保護者」
「げ、河南子も来てるの……」
春原が俺の考えていたことをそっくりそのまま口に出してくれた。気が合うな、心の友よ。
「んじゃ、行くとしようか春原君」
「そだね。ああ、あと勝平、これからは僕のこと、『お義兄ちゃん』って呼んでくれてあべしっ」
春原の願望は、芽衣ちゃんのビンタによって最後まで言われることはなかった。
BGM推奨曲:安室奈美恵「Can You Celebrate?」
いろいろ見回った挙句、会場は町の教会、ではなくてホテルのチャペルということになった。少し狭い気もしたが、一杯になった会場を見ると春原や杏を慕っている人をざっと見渡すことができた。
そして祭壇前。神父の近くに立っている春原が不安そうに俺を見て聞いてきた。
「きょ、杏、くくく、来るよね」
「まあ、そりゃあな」
「だ、だよね。はは、ちょっと手間取ってるだけだよね、ははは」
「とりあえず落ち着け」
まぁわからんでもないが。まさかまさかとは思うが、それでも最後の最後に花嫁の親友が「あのぉ……」と気まずそうに花嫁の駆け落ちを報告するというハプニングがないわけでもない。花嫁が入場するまでは、結構緊張するものだ。
「小僧、杏先生に逃げられたんじゃねえのか」
「ひ、ひぃいいいっ」
かんらからからと笑うオッサンに、俺はため息をついた。
「オッサン、あんたまたその冗談を……」
「え、ま、またってもしかすると……」
恐るおそる俺を見る春原に、俺は頷いた。
「俺の時も、『ともぴょんにとうとう愛想尽かされたか』とか言ってさ」
「へ、へぇ、そうなんだ」
「で、あの時も」
そこで俺たちはオッサンを見た。
「いや、だから軽いジョークだってよぉ……」
「秋生さん!軽い冗談でも、そういうのはいけませんっ!!」
「そうだぞ、オッサン、言ってもいいことと悪いことがあるぞ」
「へっ、悠馬、てめぇ言うようになったじゃねえか」
「秋生さんっ!悠馬さんっ!ケンカはいけません!!」
「早苗さんにあんなふうにこっぴどく叱られていた」
「早苗さんって怒ると怖いんだね……」
自業自得ではあったが、何となくオッサンが少しばかりかわいそうに見えた。古河も怒らせると怖いんだろうか。まぁ、普段あまり怒ったりしない笑顔のいい奴に限って、怒るととても怖いということは知ってはいるが。実体験からして。
しかしまぁ、これだけの人が集まったら、それは緊張する。春原・藤林両家だけでなく、俺たちや古河パン、そしてあちらの少し不審そうな皆様方は田嶋組の紳士諸君だろうか。改めてこいつらを取り巻く人の輪の広さを実感した。
「安心しろ。愛というものはいかに困難な時でも、壁がいくら高かろうと乗り越えていく不滅のものだ。岡崎はそれをすでに知っているが、春原、お前もこれからその素晴らしさを知ることになるだろう」
いつの間にか芳野さんが例のポーズを取って立っていた。
「そ、そうだね……あ、あのさ、岡崎」
「何だ。トイレか?俺が代わりに行ってやろうか」
「それ、ぜんぜん意味ないっすよねぇっ?!」
「悪い、指輪持ってくるの忘れちまった」
「ベストマン失格っすよね、アンタッ!!」
「あ、わかった。異議がある方はって段階になったら、挙手してほしいんだな?」
「反対なのかよっ!?」
まぁ、意味もわからずに何となく「異議ありですっ!!」と言いそうなお子しゃまは一名いるから、一応気は配ってはいるが。
「ったく、真面目になれないんですかねぇ、アンタは……」
「わかったわかった。で、何だよ」
すると、春原はそっぽを向いて、そして怒ったような声で言った。
「あ……ありがとう、な」
「おうよ」
何かまた話しかけようとした時、チャペルの扉が開いて最後の最後まで杏と一緒にいた智代や古河、ことみがやってきた。
「準備万端、万事オッケーだぞ、春原」
「あ、う、うん」
「ほい新郎、深呼吸して落ち着く」
ひっひっ、ふぅ〜、とポーズ付で深呼吸している春原を尻目に、俺は智代に聞いた。
「なぁ、杏のドレス……」
「すごく、綺麗だったぞ」
「どんなのかは……」
「それは、入場してからのお楽しみですよ、岡崎君」
「ですです」
「なの」
ボケっ娘ガールズに指摘されてしまった。俺は苦笑すると、扉を眺めた。すると、厳かなオルガンの音色とともに、汐と柾子ちゃん、そして何故か風子が花の入ったバスケットを持って入ってきた。普通フラワーガールは四歳から十歳ぐらいの女の子が選ばれるのだが、まぁヒトデ、もとい人手不足と言ったところだろうか。
「なぁ……」
「しっ」
智代に窘められてしまったが、次の瞬間、俺は言われるまでもなく言葉を失った。
光。最初の印象は、真っ白な光だった。
黒いタキシードに身を包んで厳かな表情で通路を歩く、中年の男性。その腕に引かれて、花嫁が入ってきた。純白のドレスに身を包み、静々と歩くその姿に、俺は手を叩くのも忘れて見入ってしまった。
「朋也」
「あ、ああ。悪い」
智代に声をかけられて、我に返る俺。
「なぁ……」
「ん?」
「綺麗、だな」
「……ああ」
答えた智代の声は、どことなく湿っていた気がした。
やがて杏は春原の数歩前まで来ると、父親の手から離れて祭壇まで自分の足で歩いた。祭壇の前に立つ二人の姿は、ちょうど窓から差し込む光のせいで逆光となり、俺は目が霞むのを感じた。
「お待たせ、陽平」
少し緊張気味に杏が小さく笑う。すると、春原もぎこちなく笑い返した。
「お待たせ、杏」
そして式が進められた。正直、賛美歌やら説教やらはよくわからなかったし、春原もぴんとこない顔をしていた。何でも、結婚式の準備の慌しさで式の進行は杏任せにしていたらしい。だが女性陣はさすがにわかっているようで、杏を始め智代や椋、古河はついていけたようだった。
正直、少しうとうととしてしまった。まぁ説教と聞くとそうなってしまうのが俺の悲しい性な訳で(例外一名、誰かはもうわかるだろ?)、特に神父のモノトーンな声と意味のわからない話は、俺を眠りに誘うのにぴったりだった。そんな俺を叩き起こしたのが、その光景だった。
「ではこれにて二人を夫婦とし、御父と御子と聖霊の名において、結婚を認めます」
その言葉とともに、杏と春原は向き合い、そしてゆっくりと、実にもどかしく、顔を近づけた。そして不意に花嫁のベールが二人の顔を隠した。
万雷の拍手と賛辞の言葉の嵐の中、熱い何かが一筋、頬を撫でるのを感じた。
「……という風に、杏は私たちの中でもいつも頼もしい存在であり、困った時にはいつでも手を貸してくれる優しさで、何度も救われてきた。そんな杏の祝いの場に招待されて、スピーチを任せられたことを、私はとても光栄に思う……」
智代のスピーチを聞きながら、俺はふと杏と春原をちら、と見た。
杏は緊張のためか、それとも智代の言葉に照れてるのか、顔を赤く染めながらも笑っていた。いい笑顔だな、と今更ながら思った。
春原はというと、まあ、あれだ。滅茶苦茶緊張しているのが手に取るようにわかる。それに追い打ちをかけるような杏の親父さんの視線。何と言うか、色で言えばブラックホールも裸足で逃げ出すような黒だった。お前、これから苦労するなぁ、とぼんやり考えていた。まあ、俺だって人のことは言えないが。
拍手が聞こえたので、我に返ると手を叩いた。壇上から智代が歩いてきて俺の隣に座ると、ふぅ、と息を吐いた。
「緊張するものだな」
「そうか?いいスピーチだったぞ?」
「最後の方は聞いていなかったのに、よくわかるな」
むっすんこという風な顔で智代が囁いた。
ぐあ
「いや、春原の視線が気になって」
「春原の?」
「何だかお前の原稿を一句違わずに言った俺のスピーチにケチをつけたそうな顔をしていた」
「……ほう」
すまない春原。俺たちの仲のために星になってくれ。
「まあ、特別に許してやろう。新郎が病院行きでは洒落にならないからな」
そして辺りを見回してから小さな声で言った。
「みんな来れたようだな」
「ああ。まあ何だかんだ言ってみんな杏が好きだからな」
「春原のことは?」
「誰だっけそれ?」
返事の代わりに軽く腕にグーパンされた。
向こうで感極まって始終泣いているのは渚。その隣でぽわ〜んと笑っているのはことみ。包装紙の形からして明らかに木彫りのヒトデであろうプレゼントを弄んでいる風子。よかったな杏、お前、ヒトデもらえるぞ?いや俺は羨ましくも何ともないが。何故だろうな、あの中で一番大人のように振る舞っているのは、一番年下の田嶋と、その隣にいる早苗さんくらいに見えるんだが。ああ、ちなみに古河(夫)シニアとジュニアは、どう見ても矯正しそこなった不良にしか見えないので問題外。
杏の家族の方を見てみる。椋と勝平は、退屈そうにしている柾子ちゃんを宥めたり叱ったりするので急がしそうだ。古河のところの汐はさすがにもうちょっと年上なだけに、空気を読むどころかその空気を楽しんでいるところがあるが、まぁそれが女の子なんだろう。そんな柊家の隣では杏のお母さんがにこやかに笑っている。聞いた話ではお母さんだけは春原を気に入ってくれているそうだ。何と言おうか、物好きな所も親子だな、と思ってしまう。そして腕組みをして観念しきっている様子の藤林父。しかしその瞳の中に「娘が実家に戻ってきたらどうなるか……」という炎もちらほら見えた。何故か俺たちの結婚式での義母さんを思い出してしまう。
春原家の方はどうだろう?まずは春原母だが、どうも狐につままれたような顔をしている。まぁ、春原が結婚するんだからそうなるのもおかしくはないけどな。あと、春原父はなぜかハンカチを噛んで涙を目に浮かべていた。自分の息子の結婚式にそんな嫉妬深い表情というのはいかがなものか。何というか、いろいろと個性のありそうな春原家だった。芽衣ちゃんがすごく、あ、そりゃあものすっごく嬉しそうにしているのが印象に残った。
「あれ?」
「どうした?」
「いや、鷹文の隣にいるのはどこのお嬢さんだ?」
「うん?ああ、河南子じゃないか」
「何っ!あれ、河南子だったのか?別人だと思ったぞ」
「……鷹文が浮気なんてするもんか。私の自慢の弟だぞ?」
そうは言われても、赤いドレスを纏って髪の毛をまとめた河南子なんて、誰か想像できるか?おしとやかな河南子なんて、知的な春原、いやナルシストな古河、またはスレたことみぐらいに想像できない。
「……ずいぶんな物言いだな」
「じゃあ、可愛くない智代ぐらいに想像できない」
「……馬鹿。誰かのスピーチの途中だ。静かにしてろ」
その河南子は、手の中にある花束をさっきから弄くっていた。何というか、ブーケトスの時に杏が放ったブーケは、見事このやんちゃ娘の手に落ちたのだった。まぁ、俺たちの知り合いで結婚していない年頃の娘といったら河南子ぐらいだったわけだが、その時俺と智代が義兄義姉としてにやにやが止まらなかったのも無理はない。
しかしそれにしても杏と智代と河南子が仲良し、しかも支援に有紀寧のおまじないとお友達投入、おまけに鷹文のコンピュータスキルと春原という生命力極大の生きた楯があれば……
もしかするとこのメンバーで世界を制覇できるかもしれない。
「何かまた変な事を考えていないか?」
「気のせいだろ、多分」
「どうだろうな……ちなみに世界制覇とはいかなくても、日本統一は堅い」
「もう統一されてるだろ。って、思考を読むな」
「やっぱり変なことを考えていたんだな……」
智代がにやり、と意地悪く笑う。ぐあ。嵌められた。
「覚えていろよ?」
思わず「ひぃいいいいい」と言いたくなったが、友人知人の前で盛大にそんなことをすれば、一番良くて「パクリの岡崎」、最悪「春原と同族の岡崎」というありがたくない二つ名がつきそうだからやめた。
不意に、みんなが立ち上がり始めた。
「朋也、ぼっとしていないで。ほら、乾杯だ」
「あ、ああ」
慌ててシャンパングラスを手に取る。司会者が音頭を取った。
「それでは」
『乾杯!!』
BGM推奨曲:CLANNAD Original Sound Track「願いが叶う場所II」
「しかしまぁ、ここまで来るとやっぱり感無量って気もするな」
食事の時に智代に語りかけた。
「そうだな……まあ、いろいろあったからな」
「途中で突っ込みたくなったな。俺たちはお前らの恋愛相談室かっ!!って」
「それは……あったな」
ふふふ、と微笑む智代。
「しかし、ま、もう大丈夫だろ」
「うん、そうだな」
そう頷いて遠くを見るような目をする智代。恐らくその先には、俺と同じ光景が浮かんでいるんだろう。
これからが大変なんだ。夫婦仲ってのは、いい事ばっかりじゃない。他人を家族として受け入れて、自分も変わって、転びながらも進んで。毎日それの繰り返しだ。
それでも。
それでも数時間前の光景が目から離れなかった。
披露宴の会場となっているこのホテルのチャペルで、家族や友人に見守られながら、二人は誓った。
良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、想い、共に添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓います。
杏ははっきりと、春原は舌を噛みながら、その言葉を復唱した。それを言い終わった後、二人の表情は、どこか強くて、どこか晴々としていて、このまま世界でも運命でも何でも来い、というような笑顔だった。
そんな二人を見ていたら、ふと、ある言葉が頭の中に浮かんできた。
「福音」
「……え」
俺は驚いて智代を見た。にっこりと笑う智代。
「何だか、そんな言葉がぴったり来る気がしたんだ。福音の場だなって」
「……ああ。そうだな。そのとおりだ」
参った。よもや俺と智代が同じことを考えていたとはな。
彼女が彼から与えられた福音。
彼女が彼にもたらした福音。
彼女が、そして彼がみんなに分けて回った、笑顔と幸せの福音。
彼の、そして彼女の福音。
その福音が二人の胸の中にある限り、二人はこの先どんなことがあっても大丈夫だろう。歩くのが茨の道でも、手を取って前に進んでいけるだろう。
え?
俺?
俺はまあ、あれだ。
「……しかし杏のドレス姿も、期待以上のものだったな」
「ああ、綺麗だったな」
確かクラシカルというタイプだと、智代が言っていたのを記憶する。
「うん。何だかとても女の子らしくて、というよりあれを見たら園児たちが夢見てしまいそうなほど可憐で、綺麗で……」
「ああ」
「……ふ」
え?これってもしかするとあれですね智代さんええわかりますわかりますとも
「それに比べて、私と来たら……所詮私は元非行少女の暴れん坊将軍。いくら頑張っても乙女の魅力は備わらないのだろうな……ふふふ、私なんかが幼稚園の先生になったら、登園拒否の子が続々登場、親御さんからは苦情の雨霰で、結局は幼稚園閉鎖。近所では教師失格、人望まるでなし、母性の欠片もない女という評判が立ち、家には石を投げられドアには落書きをされる始末。仕事場でも朋也には冷たい視線が注がれ、私にはあからさまな嫌味を言うものが跡を絶たない。そんな誹謗中傷の嵐の日々に耐え切れなくなって、朋也が差し出す緑の紙を……」
「ないないないっ!絶対ないから!」
BGM推奨曲:CLANNAD Original Sound Track「馬鹿二人」
俺たちの場合、このように時々暴走することも、たまにある。
「俺はっ!智代のウェディングドレス姿もっ!!大好きだあああああっ!!!」
おまけ 1
智代ビフォー
「春原陽平が光坂市に到着したのは、もう十年前のことになるが、その前はアルファケンタウル第五惑星に住んでいたと予想される。そこでは掛け声は『ひぃいいい』で、表情はくわっとなるものであり、また住民の性格はいわゆるヘタレである。しかしその生命力には驚くべきものがあり、多少のダメージなら即回復することができる。光の国の戦士によって絶滅させられたのが惜しいくらいだが、こんな奴らが惑星一個分あるかと思うと、平和が乱されてしょうがないから、まあ致し方あるまい。
春原は地球に降り立った時、その能力を使って日常に溶け込んだが、さすがにさまざまなところでぼろが出てしまった。二年目のバレンタインデーなどは、クラスどころか学校中の女生徒に「僕にチョコレートをくださあい、あははははは」などとのたまって、いろんな意味でその名と風貌を全員に刻みつけた。また、ラグビー部との意思疎通を図ってみたものの、全くもって空しい結果となり、挙句の果てに全面戦争まで行きそうになった。結局手を差し伸べてくれたのは、というより辞書による愛情表現を示してくれたのは、本日の花嫁である藤林杏だけだった。
二人は悩んだ!この人種すらも超えた、惑星生命体の違いの壁を、どうやって克服できるのだろうかと。
障害は多かった。春原は人間の言語をよく理解できていない上に、文明という概念を飲み込むにはまだ百年は早く、そして藤林杏も、人間が異種族と共存できるというモデルケースの第一例となることに抵抗があった。
しかし、それでも希望はあった。そこには愛があった。
そう、愛だ。
愛さえあれば、どんな困難にも立ち向かえる。愛さえあれば、何もかも乗り越えられる。愛さえあれば、世界だって救える。
だから思うのです。この二人には愛があって、だからこそ永遠なのだと」
「とぉもぉやぁくぅん?」
「……何でせうか、奥様」
「正直に答えてくれ。朋也は私の親友の結婚式で、こんなスピーチをするつもりなのかな?ん?そうなのかな?」
「え?お前春原と親友だったっけ?」
「いや、杏の話だ」
「あっそ」
「で、どうなんだ?」
「だってよぉ……本当のこと話したらあまりにも杏が不憫じゃねえかよぅ……何かさ『パパ、ママ、あたし、目が覚めました』『おお、そうか』『杏ちゃん、今でも遅くないわ』『はい。ごめんね陽平。あたし、あんたがそこまでとは思ってなかったわ』ってな感じになりそうでさ」
「……ありえないようでありえるから困るな、それは」
「だろ?だったらギャグにするしかないじゃん」
「ふむ……しかし、嘘をつくんだったら、いっそ大きい嘘をつこう」
「大きい、嘘?」
「ああ。だから、ちょっとばかし春原のいいところっぽいものを誇張してだな……」
智代アフター
「春原君、藤林さん、そしてご両家の皆様。本日はおめでとうございます。
新郎の高校のクラスメイトである、岡崎といいます。
僕と春原君は、高校の時にばったり出会いました。最初からお互いに共感することができ、それ以来一緒に楽しい時間を過ごしました。そんな日々の中で、僕と春原君は藤林さんや家内と知り合うことができました。
藤林さんは当時から人望に厚く、春原君とも親しくしており、また春原君も藤林さんの言葉に耳を傾けて、いつしか二人は書物を貸したり借りたりする仲になりました。
そうやって僕たちは高校を卒業し、僕と春原君は就職、藤林さんは専門学校にとそれぞれの道を歩み始めましたが、それでも藤林さんから電話がかかってくると、春原君は実家からでもすぐに電車に飛び乗って会いに来ていました。
そんな二人の間に愛が芽生えたのは、必然でありましょう。愛さえあれば、どんな困難にも立ち向かえる。愛さえあれば、何もかも乗り越えられる。
彼の愛情はおそらく30年先も、40年先も変わらぬままだと思います。そして、きっと今日のお二人のように素敵な笑顔がこぼれる、そんな家庭を築いてゆくだろうと、僕は確信しています。
それでは、本日は本当におめでとうございました。」
「ほら、嘘は言っていない。ただ事実をぼかしているだけだ」
「……突っ込むところが多くて困るが、まあ、これでいくか」
「気に入ってくれたか?」
「智代の書いたものだからな。そのまま使わせてもらうさ」
「……照れるじゃないか」
おまけ 2
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